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中国・三国志旅行5日目(朝食&漢中博物館)

古そうなホテルだな、と思っていたのですが、案の定、朝、エレベーターに乗ろうとボタンを押しても、一向に止まらずにスルーされ続け、危うく集合時間に遅れそうになりました。まぁ、乗ったエレベータが止まらなかったワケでは無かったので良かったとしよう。
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中国・三国志旅行4日目(夕食)

昼食をたらふく食べた上に、お茶屋さんでお茶をがばがば飲んだため、お腹が全く空いていない、というかまだ満腹に近い状態。しかし車は数分であっさりと夕食のレストランへ到着してしまいました。あまり食べられないやろな、と思っていたのですが、いざ食べ始めると、どんどんお腹に。この日も美味しくいただきました。
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中国・三国志旅行4日目(明月峡古桟道)

漢中王設壇処を後にして、車で蜀の桟道こと明月峡古桟道へと向かいます。車はずんずんと山道へ入っていきます。漢中から約1時間か1時間半ぐらいで到着しました。断崖絶壁に穴を開け木材の支柱を差し込み作られた蜀の桟道。その桟道そのものは歩けませんが、一部補強された部分は遊歩道として歩けます。その後、この近郊はお茶が美味しいということで、蜀の桟道から帰る途中で立ち寄ることになりました。
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中国・三国志旅行4日目(古陽平関&漢中王設壇処)

この日は続いて古陽平関へ向かいました。古陽平関は曹操VS張魯の陽平関の戦いと、曹操VS劉備の漢中争奪戦の舞台となった場所です。そんなすごい場所なのに、驚くぐらい何もない田舎でした。漢中王設壇処は劉備が漢中王を名乗った由緒正しき場所です。ドラマや映画、漫画やアニメでは盛大に描かれるシーンですが、いろいろな意味で衝撃を受けました。
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中国・三国志旅行4日目(馬超墓&武候墓)

すっかり満腹になって次に向かう場所は、武候墓。成都でも武候祠を見ましたが、陝西省にもあるようです。その途中、馬超のお墓へ立ち寄ります。馬超(字:孟起)は蜀の五虎大将軍の一人で、その容姿から錦馬超と称えられています。ガイドさんによると馬超のお墓は過去5、6回盗掘に遭ってるそうです。
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中国・三国志旅行4日目(定軍山&昼食)

三国志では定軍山の戦いで有名な定軍山へ向かいます。定軍山の戦いとは漢中をめぐる劉備と曹操との間で行われた戦いです。蜀の黄忠(字:漢升)が、魏の夏候淵(字は妙才)を破った場所、それが定軍山です。あと、定軍山は諸葛亮が埋葬された場所でもあるそうです。とすると、さっき見た勉県武侯祠には何が埋まってたんだろう?
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中国・三国志旅行4日目(朝食&勉県武侯祠)

今回の旅行で(恐らく)一番良いホテルだったのか、朝ごはんのメニューもかなり豊富でした。この日はまず勉県武侯祠を見学に行きました。諸葛亮の為に建てられた武侯祠は中国各地に点在していますが、勉県武侯祠は中国最古の武侯祠です。2日目に訪れた成都武侯祠と比べると、まったく違う雰囲気でした。
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中国・三国志旅行3日目(夕食)

昭化古城を離れて、本日の宿泊場所である広元へと向かいます。ここでガイドさんとドライバーさんが交代になります。新しいガイドさん&ドライバーさんと一緒に、地元の食堂(?)へ夕食を食べに行きました。街灯がほとんどない暗闇の中での夕食で最初はかなり不安でしたが、予想以上においしかったです。
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中国・三国志旅行3日目(昭化古城)

剣閣観光を終えて、昭化古城へ向かいます。昭化古城って何?と思っていたのですが、旧葭萌関だそうです。三国志で、張飛と馬超が一晩中一騎打ちをしていた場所として有名なところです。
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中国・三国志旅行3日目(剣閣)

姜維のお墓参りを終えて、剣閣観光へ向かいます。といっても、ひたすら、山の中をくねくねと歩く、トレッキングです。剣閣は三国志時代は、蜀の重要な関所で、難攻不落の地と言われていました。1800年たった現在でも剣閣はかなりハードな道でした。剣閣の関所「剣門関」は2008年の四川大地震で倒壊したものの、その後修復され、現在の姿になっています。
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