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中国・三国志旅行4日目(馬超墓&武候墓)

すっかり満腹になって次に向かう場所は、武候墓。成都でも武候祠を見ましたが、陝西省にもあるようです。その途中、馬超のお墓へ立ち寄ります。馬超(字:孟起)は蜀の五虎大将軍の一人で、その容姿から錦馬超と称えられています。ガイドさんによると馬超のお墓は過去5、6回盗掘に遭ってるそうです。
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中国・三国志旅行4日目(定軍山&昼食)

三国志では定軍山の戦いで有名な定軍山へ向かいます。定軍山の戦いとは漢中をめぐる劉備と曹操との間で行われた戦いです。蜀の黄忠(字:漢升)が、魏の夏候淵(字は妙才)を破った場所、それが定軍山です。あと、定軍山は諸葛亮が埋葬された場所でもあるそうです。とすると、さっき見た勉県武侯祠には何が埋まってたんだろう?
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中国・三国志旅行4日目(朝食&勉県武侯祠)

今回の旅行で(恐らく)一番良いホテルだったのか、朝ごはんのメニューもかなり豊富でした。この日はまず勉県武侯祠を見学に行きました。諸葛亮の為に建てられた武侯祠は中国各地に点在していますが、勉県武侯祠は中国最古の武侯祠です。2日目に訪れた成都武侯祠と比べると、まったく違う雰囲気でした。
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中国・三国志旅行3日目(夕食)

昭化古城を離れて、本日の宿泊場所である広元へと向かいます。ここでガイドさんとドライバーさんが交代になります。新しいガイドさん&ドライバーさんと一緒に、地元の食堂(?)へ夕食を食べに行きました。街灯がほとんどない暗闇の中での夕食で最初はかなり不安でしたが、予想以上においしかったです。
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中国・三国志旅行3日目(昭化古城)

剣閣観光を終えて、昭化古城へ向かいます。昭化古城って何?と思っていたのですが、旧葭萌関だそうです。三国志で、張飛と馬超が一晩中一騎打ちをしていた場所として有名なところです。
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中国・三国志旅行3日目(剣閣)

姜維のお墓参りを終えて、剣閣観光へ向かいます。といっても、ひたすら、山の中をくねくねと歩く、トレッキングです。剣閣は三国志時代は、蜀の重要な関所で、難攻不落の地と言われていました。1800年たった現在でも剣閣はかなりハードな道でした。剣閣の関所「剣門関」は2008年の四川大地震で倒壊したものの、その後修復され、現在の姿になっています。
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中国・三国志旅行3日目(昼食・姜維の墓)

続いて蜀の武将、姜維が最後の抵抗をした場所、剣閣へ向かいます。ところが、車は山道をくねくね、同じ場所を行ったり来たり。もしかして、迷ってる( ̄▽ ̄;)・・・なんでも地震で道が変わってしまったそうです。ってやっぱり下見はしていない模様。地元の人に尋ねまくってようやく剣閣へ到着。
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中国・三国志旅行3日目(朝食&翠雲楼)

3日目のこの日の午前中は、張飛が植樹したという柏の並木道、翠雲廊を見に行きました。約8000本の柏が植樹されている世界でも珍しい古街道です。ホテルを出た時はどんよりと曇っていたのですが、目的地である翠雲楼に到着するころにはすっきり晴れて良い天気に。セミは鳴くわ、蚊には刺されるわ、9月の中頃にもかかわらず真夏の陽気になりました。
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中国・三国志旅行2日目(落鳳坡&富楽山)

昼食後は三国志史上有数の天才軍師・ホウ統が亡くなった場所として有名な落鳳坡を見て回りました。その途中に蒋エン(諸葛亮死後の蜀の丞相)の墓に寄る予定だったのですが、2008年の四川大地震の影響で道が変わってしまって行けなくなったとのこと。下見とかしてないんか?ちなみにホウ統のお墓も修復工事真っ最中でした。
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中国・三国志旅行2日目(成都パンダ繁殖育成研究基地&昼食)

武候祠をあとにして成都パンダ繁殖育成研究基地を見学に行きました。武候祠からはそんなに遠く無くて車で1時間弱だったと思います。中国の道路はどこまで行ってもまっすぐなので、渋滞にさえ巻き込まれなければスイスイと快適です。実は、成都がある四川省はパンダの生息地。正直、三国志とは全く関係ありませんが、どうしてもパンダが見たかったのです♪
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